*キラキラのどろんこLife*

先天性心疾患・左心低形成症候群である三女と小学生の姉ちゃんズは、年の差三姉妹。5つのローンを背負って嵐の中を突き進むけれど、もはや前進あるのみ!







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【私語り】若かりし日のお小遣い稼ぎと、対人恐怖症の話。

こんにちは、睦です。

箱入り娘で世間知らずのまま社会の荒波に揉まれたら、さすがにちょっと大変でした・・・なんてことを、先日書きました。

 

箱入り娘で世間知らず。 アルバイトは父から禁止されていて、社会勉強などしたことがありません。お金の引き出し方はわかるけれど、切符の買い方もイマイチよくわからず。

 

【私語り】私が「社会から隔絶されている」と感じていた2つの時期、そしてブログを続ける意味。 - *キラキラのどろんこLife*

 

私の世間知らずは『アルバイト未経験だから』ではなく、人生の選択を親任せにしていたからというところが大きかったと思います。

そして親もまた、余計な情報を入れたくないようではありました。

 

今のようにインターネットも普及していませんしね。

 

 

学生の本分は勉強!

 

 

 

父はずっとこんな感じでした。

けれど父は私を信用していなかったわけではありません。「どこに出しても恥ずかしくない」とは後に聞いた言葉ですが、公認でお小遣い稼ぎをしたことはありました。

 

しかし、どこに出してもとは言い過ぎですよね。

これを知ったのは結婚が決まったあとのこと・・・24歳になるまで知れなかった父心だったので、本当にもったいなかった~

 

 

**目次**

 

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私が経験したお小遣い稼ぎ

祖父の畑でじゃがいも拾い

母方の祖父母は羊蹄山麓に暮らしていました。超大自然!

昭和40年代までは元農家で、町に土地の大半を売ったものの、残った畑でさえかなり広かったんですね。

 

いつのことだったでしょうか。

家族総出で1日かけてじゃがいもを拾うという、地獄のようなお仕事がありました。長靴を新調してまでのミッションです。

 

言うまでもなく、翌日の下半身は 歩くこともままならないほどの筋肉痛。けれどお小遣いには諭吉殿をくれる祖父なので、いいお仕事をさせてもらいました(笑)

 

父の会社でお手伝い

父が勤めていたのは調味料の会社でした。もう定年しています。

繁忙期は初冬~春先まで、その原料が入ってくる11月頃だったでしょうか。半屋外のような場所で、防寒対策をしてパートのおばちゃん達のお仕事を手伝わせてもらいました。

 

輸送されてくる原料を受け入れる場所での、単純な流れ作業。

 

力仕事ではありませんでしたが、立ったり座ったりと屈伸運動が多く入っていたこともあって、翌日は味わったことがない下半身の筋肉痛で苦しみました。

 

今でこそ落ち着きましたが、当時の私は酷い人見知り。

そして初めての場所がとにかく苦手なので、そこでの「初めまして」は本当にイヤなものでした。

 

父は転勤族だったので、「初めまして」の場所は多かったんですけどね。慣れることはなく。

 

父がいてくれる安心感と、父の前で失敗できない緊張感と。なかなか難しいものだと感じていたはずなのに、結婚後には支社で事務パートをさせてもらいました。

 

理想とするものに届かない葛藤が、私の中にはずっとありました。周囲と比べて、どこまでいっても私は劣る存在なんだと思い続けていたんです。

それが多少解消されるきっかけになったのは、結婚後に始めたパートです。

自社商品の通販の受注・発注をしたり、来客対応をしたり。制服を着て仕事をして、時には社内の飲み会に参加させてもらって。

 

それだけで、私は誰かの視界の中で生きているのだと感じられました。

 

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幼い頃から見知った顔、近所のおじさんだった人達がたくさんいる職場というのは、いいのか悪いのか。

 

噂話もたくさん耳にしていましたから、時にはやりにくいこともありつつ。

大人向けのお姉さんが出ているビデオを、自分の見たいシーンで頭出ししている部長さんの話とか・・・そんな話を教えてくれる母も母ですが。

 

父はよく出張で来ていたので、一緒に食事をすることがお互いに楽しみでした。父と向き合ってゆっくり話せるようになったのは、社会人になってから。

もっともっと続いてもよかった時間です。

 

母のパート先でのお手伝い

母のパート先はホームセンターです。

私が専門学校に入学した年から始めたので、来年で20年になるんですね。定年が65歳と言っていましたから、残り5年働かせてもらえるんでしょうか?

 

それはさておき。

ホームセンターでの単発アルバイトといえば、棚卸です。特に珍しくはないですね。

 

学校を2日間ズル休みお休みして、お手伝いさせていただきました。母経由ではありますが、キチンと申し込みはしています。

これが1番アルバイトっぽい仕事でした。

 

お祭りでの太鼓山車

地元でのお祭りに、父の会社で参加していた時のことです。高校生~専門学校生の間で計4回くらい乗ったでしょうか・・・

 

最初の年は宮太鼓、その翌年からは大太鼓に跨って叩いていました。


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これは3年目かな、新聞にも掲載されたんです。 

 

宮太鼓のバチは太くて、掌にはまめができます。

私はちょっと苦手で。

 

大太鼓のバチは細くてよくしなったので、振り遅れないように最初はとにかく必死でした。

早打ちする部分では、少し食い気味のペースで振らなければいけません。

 

お祭り本番までは狭い部屋の中での練習、太鼓の音で頭がいっぱいになります。毎日ではないものの、学校が終わってからの練習は体力も要りました。

それが、楽しくて楽しくて。

 

音楽、踊り、お祭り、大好きなんです。

 

普段は羞恥心が先行して、決して自ら飛び込むことができない世界。

1人だけで立つ舞台ではないので、あまり人目を気にすることなく開放できる感じが、本当に気持ちよかったんです。

 

どぎついメイクもドキドキでした。

 

アルバイトができなかったもう1つの理由

人目が異常なほどに怖かった

先程『酷い人見知り』と書きましたが、恐らく対人恐怖症のレベルです。

 

小4~小5の頃だったでしょうか。

授業中に担任から赤面症を指摘されて以来、人前に立つことが怖くなりました。

 

小4は酷いいじめに遭っていた時期でした。

それと戦っている時間の途中か、その後の立ち直りの時間でのことですから、心が負った傷は大きかったです。

 

それ以外の症状

克服したくて、それでもやりたくて挑戦したこともあります。でもこれを思い出すたびに人目が怖くなり、恥ずかしさで緊張して足が震えてしまいます。

酷い時には涙がこぼれそうになることも。

 

人前でのスピーチは逃げ出す一歩手前。

新入社員歓迎会での余興は、仮病を使って逃げました。一緒にカラオケに行けるのも限られた友人です。

 

何かをしている姿を見られるのが苦手なので、食べたり、作ったり、書いたりなどもできれば見られたくありません。

PCの画面を覗きこまれるのは大嫌いです。

 

そして契約社員で勤めた会社での、上司からのパワハラがありました。

 

幼い頃と今とでは違います。

けれど根っこにある不安定な部分が解消されていないので、引きずっていることも多いんです。

 

何となくまとめ

書きながら「あ、対人恐怖症に近いのかも」と気づくあたりが鈍感ですが。

赤面症は認識していましたけど、それがここに繋がっているとは考えていませんでした。書いてみるものですね(笑)

 

随分と長い間、生きづらい思いを抱えていたようです。

 

こういったことを1つ1つ、少しずつ克服していって今があります。

セールスのお兄さんと仲良くなるのは上手で、誰とでもホイホイ話してしまうので、夫にとっては凄いことのようですよ。

 

簡単にたどり着いた場所ではないんだよ?と、話したことはないけれど。四半世紀かかっても、全てをなかったことにするのは難しいです。

 

新しいことを始めるのには、相当の勇気が要ります。尻込みしたくなる気持ちに無理なく折り合いをつけて、一歩一歩進んで行けるようになりたいですね。

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