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先天性心疾患・左心低形成症候群である三女と小学生の姉ちゃんズは、年の差三姉妹。5つのローンを背負って嵐の中を突き進むけれど、もはや前進あるのみ!







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【おうち】どうしても一戸建てのマイホームが欲しかった転勤族の娘、すったもんだ編。

大きな買い物には勢いが必要ですが、最低限の計画は必要なものだと、今頃になって反省点ばかりです。頭で簡単に思い描けるほど、家を建てるというのは単純なものではありませんでした。

こんにちは、睦です。

 

2009年に新築して、今年で8年目になる一戸建てマイホームのお話です。記録のために、当時のことを振り返ってまとめてみました。

 

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**目次**

 

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小さなマイホームができるまで②

「決めた!」と意思表示さえしてしまえば、そこからはあっという間に進展していくものですね。

こちらはわからないことだらけでも、向こうはプロなのだから当然なのですが。話についていくのがやっとで、理解はあとから全力疾走で追いかけてくる感じでした。未だにわかってないことも恐らくあるでしょうね(笑)

 

まずは土地探しから

叔父にお世話になると決めた、2009年3月。

私達が当時暮らしていた地域は、とても利便性がよく、JR・地下鉄・バス、大きなショッピングセンターなどもあり、土地はとにかく高かったです。当然「ここに建てたい!」などと思うことは一切ありませんでした。

 

夫の会社は札幌中心部です。出向SEなので職場の位置は時々変わりましたが、公共の交通機関でのアクセス方法があればいいので、隣町も選択肢に入っていました。多少不便になっても、土地代がグッと抑えられるのは魅力でした。

そして私もそうですが、夫もド田舎出身なので、郊外に対して抵抗はありませんでした。

 

いいタイミングで仕事がなくなった夫

夫がちょうど契約の切れ目だった、2009年4月。

1ヶ月の3分の1ほどしか出勤せずに有給三昧、本格的に土地探しをしました。隣町の方角がその年の凶方位で、バカバカしいかもしれませんが、万が一を考えて選択肢から外し。今度は吉方位から考えて、隣の区の土地情報を貰ってみたり。

 

そこで見つけたのが、売り出し始めたばかりの分譲地の情報でした。北西~北向きの50.93坪、価格は575万5000円。

400万円台を目安にしていたので、予定よりも高い場所でした。けれど隣の区でも、予定価格に収めるには、かなり利便性の悪くなる山側(傾斜が凄かった!)にしか見つけられず。ここならば、巷で人気のエリアにも近く、そこよりはかなりお安めでした。


仮にその土地を購入した場合に、建物にはいくらまで払えるのだろうと考えました。叔父の会社のホームページを見てみると、キャンペーンでやっている限定販売のプランがあったので、それができるかどうかを打診して、最終的にそれに決めました。

 

延床面積31.19坪の総2階、間取りは3LDKです。1階に欲しかった和室は予算の都合で断念しました。

 

見積と土地の契約

見積を出してもらうと決めた、2009年5月。

まずは土地の契約を済ませました。小さな子供達を連れていくのは大変だったので、夫に1人で動いてもらうことも多かったです。実は実印など持っておらず、印鑑登録もキチンとした印鑑を用意せずにあるもので済ませてしまいました。未だに実印は作っていません・・・イイトシした大人ですが。

 

「もうちょっと先です」とはぐらかされる日々

着工予定だった、2009年6月。

計画当初の予定では確実に進むと思われていたのですが、「土地を営業に使いたい」との申し出が営業の方からありました。分譲地に行くと、スーパーハウスなどを置いてあったりしますよね?

急ぐものではありませんし、雪が降る前に完成するのだろうと、特に疑ったりすることもなく着工を1ヶ月延期しました。着工は7月5日。

 

けれど段々違和感が出てきます。

 

着工日が決まっていれば、地鎮祭の日程も決めておきたいですし、この先がどんなスケジュールになるかなども知りたかったんです。けれど先に控える具体的なことは、一切連絡がないままです。こちらから予定を聞いても「もうちょっと先です」と言われるばかりでは、不信感が募ってきます。

「このご時世だしなぁ・・・」と、失礼は承知で夫とそんな話をしていました。

 

突然の呼び出しにいい話はない

突然呼び出された、2009年7月。

「話があります」とのことで、着工予定日前日になって、隣町のモデルハウスに呼び出された私達。単純にこの先のことなのか、それとも何か・・・ビクビクしながら向かうと、営業の方、叔父、そしていつもはいない社長の姿がありました。

表に出てきて直々に出迎えてくれるとか、イヤな予感しかしなくて、逃げ出したくなりますね。

 

社長の話によると会社は見事に傾いていて、倒産はしていないけれど、現状とても不安定であることが伝えられました。

叔父は3日前に聞いたようで、不満が噴出していました。私達は身内割引もしてもらっていましたし、自分達の契約が経営悪化の原因なのではないか?と、申し訳ない気持ちでいっぱいです。

 

家が完成するまで、会社が存続している保証はありません。

 

真正面から言われると、コレなかなかの衝撃です。

仮に土地が未契約の場合には、話自体をなしにするのが1番楽な解決方法でした。けれどもう2ヶ月近くも前に土地の契約は済んでいます。その土地は「新築すること」が条件になっていたので、このまま土地だけを持っていると、土地代+アパートの家賃の二重苦になってしまうんですよね。

 

「もしもの時には、下請けの会社が引き継いで完成させます」

社長のその言葉を信じて、このまま進めていくことを承諾しましたが・・・これだけでは終わらないんです。翌日の着工は無期限で延期、いつになるのか全く分からなくなってしまいました。

 

地鎮祭の連絡って前日にくるものなのか

「明日、地鎮祭やります」と連絡がきた、2009年7月中旬。

私達が用意するのは、神主さんに渡す現金のみでした。野菜・果物など、そしてまさかののし袋まで神主さんが用意してくれました。祭壇は会社なんですね。

 

言われるがまま、慌ただしい中で始まった地鎮祭です。

7月だというのにその日は寒くて。完全に読み間違って半袖を着ていた夫が、冷えて腹痛を起こしてしまいました。近くにはコンビニも何もなく、広場のような場所で、なかなか絶望的です(笑)

近くには別の現場があったので、社長が慌てて仮設トイレの使用許可を貰ってくれて、夫はトイレに駆け込み、叔父が箱ティッシュを渡しに行っていました。神様の前ですよ。

神主さんは祭壇に向かったまま、背後は施主不在。地鎮祭は止まりません。

 

私はグズる次女をあやすのに必死です。まだ3歳前だというのに、静かに黙って立っていた長女・・・当時から本当に空気を読むのが上手な子で、助けられました。夫も神主さんが振り返る前に生還し、それでいいのかわかりませんが、無事に終えることができました。何だかなぁ。

 

倒産してないのに契約譲渡になった

地鎮祭から10日ほど経った日のこと、再び呼び出された場所は会社でした。伺うと営業の方、叔父、社長がいました。そして作業服姿の見知らぬ男性も2人・・・聞くと、この方々は「いざという時」に請け負ってくれる、下請けの会社の社長親子でした。

 

「顔合わせかな?」と思ったら、あっさりと契約譲渡の話をされました。

話が二転三転するので、口にはしませんが心中穏やかではありません。譲渡してしまえば関係ありませんが、果たして会社はまだ大丈夫なのか? これは本当に危ないからなのか? 何だかよくわかりません。

 

この2日後です。契約譲渡の手続きのために、息子のMさんが自宅に来てくれました。未だにお世話になっている担当者です。

叔父の会社側が書いた契約変更理由の欄には、しっかりと「任意整理(倒産)のため」とありました。私達はビックリです。これにはMさんも苦笑い。

「イヤ~、倒産したとは聞いてないんで、これでいいのかなって僕も思ったんですけど」

 それでいいのか。

 

今回の一件で予定していた工期より、半月遅れていました。

「できるだけ、引き渡し時期はずらさないように頑張ります!」とMさんは言ってくださって、翌日から掘り始めることが決まりました。Mさんの会社で、改めて地盤調査をしたところ、地盤が固く基礎の杭工事がいらないことが判明しました。

これで20万円ちょっと浮きます。

 

叔父には本当に申し訳ない気持ちばかりでしたが、これでやっと安心できたのも事実です。Mさんは本当によくしてくださいました。

ここからはあっという間です。

 

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