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先天性心疾患・左心低形成症候群である三女と小学生の姉ちゃんズは、年の差三姉妹。5つのローンを背負って嵐の中を突き進むけれど、もはや前進あるのみ!







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【おうち】どうしても一戸建てのマイホームが欲しかった転勤族の娘、無謀な計画編。

物心ついた時に住んでいたのは、田舎のボロッちい二軒長屋の社宅でした。

石炭ストーブのお風呂、ボットン便所、窓には外からビニールが打ち付けてあって、「むろ」なんてお化け屋敷のよう。ネズミ取りが仕掛けてあることさえ、何だか気味が悪かった。

父が転勤族だったので、その後も何度か引っ越しをしました。キレイな社宅もありましたが、それはそれで「傷をつけるな」「汚すな」だし、二軒長屋からマンションタイプへと移れば、更に「足音に気をつけろ」「騒ぐな」がついてきます。

 

もう25年くらい前(四半世紀!)のことですが、バリバリの学歴社会・縦社会の中で、社宅には所長・部課長も一緒に住んでいました。ツンケンした奥様、子供の躾がなっていないと陰口を叩かれる環境、子供ながらにとても居心地の悪い場所でした。

私がイジメに遭ったのもこの頃で、主犯はお向かいの子。

 

ありがちな話ですね。

 

町外れでしたから、仕事終わりに会社の方が集まって宴会・・・なんていうのもよくありました。食事の給仕は当たり前、酔っ払いのオッサン達に絡まれることもしばしば。「お母さんそっくりだねー!」は耳が腐るほど聞きました。

思春期に突入した頃には、子作りがどうのこうのと下ネタを聞かせてくるオッサン。親もいるというのに、どう返してほしいのか。

 

もー、イヤ!!!

 

こんにちは、北海道のド田舎出身の睦です。

ドラマになるほどの闇は渦巻いていなくても、呆れるほどにありがちな、人間の負の部分を子供の頃から見てきました。自分がこういう環境で子育てをするのは、絶対にイヤだったんです。

 

当時の私達は、そこまで無計画だとは思っていませんでしたが、振り返ってみるととんでもなく無知で杜撰な計画でした。それでも(金銭面はともかく)、建ててよかった一戸建てのマイホーム。2009年に新築をして今年で8年目になります。

記録のために、当時のことを振り返ってまとめてみました。

 

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**目次**

 

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小さなマイホームができるまで①

ありふれた幸せのカタチ

結婚して、子供が産まれて、じゃあ次は・・・というくらいに、世の中にある定番の幸せ。「夢のマイホーム」という表現はそれにピッタリですね。

夫は小学校からの同級生、友人関係になったのは中2の頃でしたが、何せ付き合いが長いので私の育ってきた背景もよくわかっています。それを汲んでくれて「いつか建てたいね」と、そんなふうには話していたんです。

 

現実的に考え始めた当時、長女は1歳目前でした。私達には「叶うならもう1人」という思いもありました。マイホームが先なのか、子供が先なのか、誰かがその答えを持っているわけではありませんし、どう決めていいのかわからずにいました。

 

基本の「き」がわからない私達

いくらでも調べようはあったと思うんですが、当時は何をどう調べていいのか全くピンときませんでした。何もわからない、2007年秋。

「とりあえず住宅展示場でも行ってみる?」

車で少しのところにあったので、行ってみれば何かわかるのだろうと、軽いノリで覗きに行ってきました。社会科見学ですね。機能のことは、どこの話を聞いても「凄いなー!」なんて思うので(笑) とにかく楽しむことができました。

2~3件見て回って、外観に一目惚れしたハウスメーカーの方に1番熱心に話を聞いて。そこ重視で「ここで建てたいな」と思ったのだから、もうどうしようもありません。

 

安易なマイホーム計画≒無計画、のスタートです。

 

それからは完成見学会の案内が届くたびに、片道1時間だろうと顔を出しました。ほぼ皆勤賞。間取りを覚えてきては描き残し、頭の中で妄想するようになりました。あの時間がとても楽しかったのを覚えています。

 

次女の妊娠が発覚

吐き気に倒れた、2008年新年。

悪阻がピークの頃は、雪に埋もれる真冬の北海道、完成する物件もかなり少なく。暖かくなってラッシュの時期には、スイカ泥棒並みのおなか、見学会より妊婦健診。ただの1度も行けぬまま、あっという間に出産からの育児に追われる日々でした。

 

少し経って落ち着いた頃、1度担当の方に会いに行って、現状のお話などを聞いてきました。子供も2人になり、計画自体はますます現実的になりつつあるも、当時はちょうど「リーマンショック」の頃でした。

こんな調子で、本当に建てられる?

 

何が1番大切なのかを考える

相当いいお値段のメーカーでした。とても暖かいし、外観もかわいいし、雪景色の中に建っていたら素敵です。けれど、当時の(もちろん今も)我が家の経済力では、それが相当厳しいことは分かっていたんです。

ローンの試算も何度もしてもらいましたが、手の届く気がしませんでした。

それでも「夢」にしがみついてしまって、妥協したくないという気持ちが強くなり過ぎました。それが進展を阻んでいたんです。

 

理想と現実をしっかりと分ける

子供達もまだ小さく、保育所に預けて働くつもりはありませんでした。

その一点が譲れないのなら、理想に向かって頑張ることより、妥協点を見つける必要があります。同じメーカーでは無理だったので、違うところを探さなければいけなくなった時、ふと叔父のことを思い出しました。義父の弟です。

 

次女を出産後、顔を見に来てくれた叔父が「俺に任せてくれたら1200万くらいでいい感じに建ててやる」と、話の流れで言ったのです・・・さすがに1200万は言い過ぎ!でもどこまで本当なんだろう、という興味はありました。

伯父は隣町のハウスメーカー勤務でした。土地、建物、資金繰り、叔父になら少し突っ込んだ話も聞けそうだと、夫に連絡してもらって会うことになりました。

それが暖かくなり始めた、2009年3月。

 

自己資金0でもできるのか

結婚が決まっていながら、私に内緒で無謀な自動車ローンを組んで支払っていた夫。長女を出産する前に繰上返済が目標で、それに追われていた我が家。貯蓄0です。長女の出産費用は、結婚後に始めたパートで貯めた私の貯金から。次女の出産費用は、出産一時金の貸付制度を利用しました。

 

前述した自動車ローンは、3本あったものを1本にまで片付けていて、残債の60万円を相殺できるうちに手放しました。少し大きなものに乗り換えていて、新たに組んだローンの残債は4年半。月々1万9000円、ボーナス払いが年2回の5万円。それなりにありました。

 

「よくそれでマイホームなんて考えようと思ったね」と、もちろん今なら思うのです。でも当時の自分達なりに、資金が貯まるのを待つより、長女の入園に間に合わせたいという思いがありました。

私の父が転勤族だった、というお話をしましたが。私は親元を離れるまでに、引っ越しを5回(転校は3回)しています。大した回数ではありませんが、それでも寂しいものです。

 

幼馴染みがいたり、お友達とずっと一緒に学校に通うことができる、そんなささやかなことが私にとっては憧れだったんです。

 

夢を現実にしよう

勇気というほどのものは要らなくても、諦めるのは少し残念でした。それでも、本当に大事なのは「箱がどんな形をしているか」ではなくて、「その箱の中に何を入れるか」なんですよね。

建物の外観・機能・広さ・立地、理想を追えばいくらでも出てきます。でもそれ以上に、そこに暮らす私達の在り方や気持ちが大切、そこでどう暮らしていくかです。そう思えた時、あっさりと線を引くことができました。

 

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