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先天性心疾患・左心低形成症候群である三女と小学生の姉ちゃんズは、年の差三姉妹。5つのローンを背負って嵐の中を突き進むけれど、もはや前進あるのみ!







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【親子・夫婦】親子・夫婦における適正な距離感とは?家族の在り方について考えてみた。

家族って何でしょうか。

 

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家族とは

大辞泉 第三版より

①夫婦とその血縁関係にある者を中心として構成される集団。

②民法旧規定において、戸主の統率下にある家の構成員。

 

一般的には、上記のようなことを指すのでしょうけど。私達が「家族」と表する時に、そこには必ずしもこの条件が揃っていますか?

 

こんにちは、睦です。

夫婦2人でも、大家族でも、母と子でも、祖父と孫でも、異性でも、同性でも、同居でも別居でも、血縁関係や婚姻関係のあるなし・・・人それぞれ、「家族」にはいろいろな形があるんですよね。

そう思うか、思えるかどうかって、結局は心が決めることのような気がしています。

 

 *目次*

 

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シェアハウスの同居人になろう

家族は「シェアハウスの同居人」でいい。

 

つい最近のことなのですが、ふとそう感じることがありました。

これは血縁のない夫ばかりではなく、子供達にも言えることですが、「夫」「娘」「兄弟姉妹」という概念は、もう最低限しか必要ないんじゃないかなと・・・そう思ったのです。

それだけ書くと、冷たく感じてしまうかもしれませんね。でもね、決して突き離す意味合いではないんです。

 

親子編

自分自身で考える力

小4の長女、小2の次女への声掛けは年々少しずつ変わってきています。

最初は「こうしなさい」だったものが、「こうしてみたら?」になり、そのうちに「こういうやり方もあるんだよ」と。そして常に「どうしたらいいと思う?」という問いかけは、忘れないようにしています。

 

変わってきたのは、子供自身に考える力があるからです。考えられると信じているからです。

本当に小さな子供の頃とは違って、私の価値観に沿わなくても、自分で判断することができるから。

 

子供達からQを投げられた時に、Aの1つとして「お母ちゃんならどう考えるか」にはもちろん答えます。

けれど決定は子供自身。

ケースバイケースなので、それはイカン!という時には、まだまだ大人の判断で止めることはあります。

 

過干渉をしたくない

私自身は親(特に母)と子の距離感が、恐らく適正よりもずっと近い状態で育ってきました。

そのせいなのか、どうなのか、子供達に対しても入り込み過ぎる感はあったのです。心配性でもあります。

そして時々、立ち位置を見失ってしまいます。


いくら同性同士とはいえ、むしろ同性だからこそ、距離感が難しい年頃に差し掛かってきます。

この先子供達から「距離を取られた」と感じた時に、必死になって必要以上に踏み込むようなことはしたくないんです。

それをしたらお互いに苦しくなってしまいます。

 

母と娘は一心同体でも、運命共同体でもありません。血を分けた母と娘ではありますが、「血の繋がった別の個性、他人」です。

若い頃に妹に対してそれを言ったら、酷く冷たい姉だと罵られたことがありますが、私はずっとそう思っていますし、それは忘れたくありません。

 

そう考えることは、=縁を切る、助けない、ということではないからです。

 

言葉にすれば同じ「母と娘」ですが、長女も、次女も、そして三女も、それぞれに私とのいい距離というのがあります。

1番望ましいスキンシップの形も違いますよね。それを脇に置いて、自分の理想だけで考えてはいけないと思うのです。

 

そして何より、突然突き離されたら寂しいじゃないですか! 

(これが1番かもしれません)

 

生活習慣にも置きかえて考える

私は口癖のように「片付けしなさい!」と言います。昔から整理整頓されていない部屋が、とにかく嫌いです。

腰が重いので掃除はなかなかやる気にならなくても、雑然としていると落ち着きません。疲れていても、体調がしんどくても、片付けは極力やっておきたいんです。

 

逆に、夫と子供達は散らかっていても平気です。

口うるさい私に負けて、やっとで片付けてくれたとしても、数日も持たず散らかってきます・・・そして、この攻防は延々と繰り返されています。

この先も繰り返されるでしょう。

 

言う方も言われる方もイヤですよね。我が事ながら、私はもうイヤです!

 

わかっているんです。

夫も子供達も、私の望むとおりには動けません。「動かない」のではなくて「動けない」です。失礼な言い方に聞こえるかもしれませんが、片付けに関しては、そこまでの能力はありません。

それ以上に興味がないんです。

 

「こうしてほしい」を押し付けない

家にいる時間が1番長くて、家事を任されている立場として、私が家のルールを決めればいい。

そう思っていましたが、今回その考えをやめることにしました。

 

これからは、私が伝えた最終目標のイメージに、子供達から「どうやったら近づくことができるか」を教えてもらいます。

 

「こういうやり方ならできる」

「こういう感じにしたい」

 

それぞれの考えを擦りあわせていって、それで決めていきます。「どうしたらいいと思う?」は、どんな時にも必要でした。

 

最低限のルールは必要です。

その中でもっと好きにやれるように、必要な時には手を差しのべられるように。個を尊重して、お互いを大切にし合える。

そういうスタンスでいられることが理想ではないでしょうか。

 

それをいい具合に表現できたのが、私の中では「シェアハウスの同居人」だったのです。

 

子離れの時期には早いけれど

時にくどくど言いますし、真正面から感情的に怒鳴りつけることもあれば、皮肉を言ってしまうこともあります。

不安を感じてしまうこともあります。

37年間生きてきて、母親としても11年目、それでも私自身まだまだ未熟です。

 

子供達がぐんぐんと成長していくスピードには到底及ばなくても、私自身も一緒に成長していきたいのです。

もっともっと「自分らしく」生きていけるように、私の存在がその一助になれば、それで十分です。

 

夫婦編

過度の期待や執着

夫に対しては、これまでずっと「根気強く向き合っていれば、どこかで気づいてくれるんじゃないだろうか」という期待を捨てきれずにいました。

けれどよく考えてみると、期待というのはこちらが一方的にするものです。

それを相手に押し付けるのは、そもそも勝手過ぎること。それに対して落胆したり、傷ついたり、それもまた私が勝手にしていることなんですよね。

 

「家族に対して期待して何が悪い」

「家族なんだから当然でしょう」

 

そう言われます。

「間違ってないよ」と言われることには安心します。けれど、これは「相手を責めるために自分を正当化した」だけのことです。

少なくとも私がこれをする時にはそうです。

親子と夫婦では、踏み込む深さも角度も違いますが、適正な距離があることに変わりはありません。

責める気持ちは、深く入り込み過ぎるところがありますね。

 

子供達と向き合うようには、なかなかうまくいかないのですが。これも私がやめていきたいことの1つです。

怒りを抱え続けることも、見張り続けることも、疲れます。

 

家族編

「結果、集団だった」と考える気楽さ

家族でいるのだから、共に成長し合えることが1番でしょうね。

けれど、家族としての成長のためには、まずは個としての成長ありきです。そのために必要なのは、何事にも向き合うことでしょうか?

仮にそれが正義なら、できない人は罪悪感で縛り付けられてしまうかもしれません。

 

必要ならば向き合えばいいし、その時ではないのなら逃げてもいい。選択肢は人の数だけあっていいはずです。

 

そして「家族なんだから」と執着しなくても、きっと大丈夫。

自分を大切にできていたら、相手のことも大切にできます。お互いを大切にし合えていたら、そこにある個はワンマンプレイにはならないでしょう。凸凹を補い合って、もっと強い集団になれるかもしれません。

お神輿は1人の力では持ちあがりません。

 

家族もそんな関係がちょうどいいです。

 

私も自分の人生を大切にしていきたいです。だから「妻だから」「母だから」と、むやみに責任を背負う人生はやめにします。

 

笑顔で過ごす日々を積み重ねた先に、家族はどんな形で在るのでしょうね。

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